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研究室より
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ある教員の夏休み

福田 忠弘

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 大学の夏休みは長い。鹿児島県立短期大学の夏休みも、8月8日から9月30日まで、50日以上休みの日がある。学生にとっての夏休みは、アルバイトをしたり、自動車学校に通ったりするのが一般的であろう。まじめな学生は、資格取得の勉強をしたり、本学の特色ある海外交流事業である異文化コミュニケーション・異文化体験で、ハワイ、南京、インドネシアで研修を受けるかもしれない。夏休みは、学生が思い思いに過ごしながら、自分を磨くことができるすばらしい長期休暇である。

 一方、大学の教員は、この長い夏休みをどのように過ごしているのだろうか。今回の「研究室より」では、そんな知られざる大学教員の夏休みについて紹介してみたい。大学教員と一口に言っても、その研究テーマはさまざまである。同じ大学の同じ学科に所属しているからといって、その学科の教員がみんな同じテーマを研究していると思ったら大間違いであり、各教員にはそれぞれの研究テーマがあり、そのテーマに沿った研究方法がある。したがって、今回紹介するのは、このコラムの筆者個人の研究テーマに沿った夏休みの過ごし方である。

  筆者は現在、ベトナム戦争について研究している。日本に入ってくるベトナム戦争の情報は、アメリカやヨーロッパから入ってくるものが圧倒的に多い。しかし、ベトナムから直接入ってくる情報というのはそれほど多くない。そこで筆者は、当時の国際関係がベトナム戦争にどのような影響をおよぼしたのか、ベトナム戦争が国際社会にどのようなインパクトを与えたのか、そもそもベトナム戦争とはベトナムに何をもたらしたのだろうかといった点について、ベトナム側の視点にたって研究したいと思っている。時期的には、1960年代をあつかっている。こうした研究を行なっていると、ベトナムに何度も足を運ぶことが重要になってくる。当時の一次資料を探し出したり、過去から現在に至るベトナム戦争の研究動向を調べたり、さまざまな出来事が起きた場所に実際に足を運んで新しい事実を見つけ出すといった作業が必要なのである。

  今回の夏休みも8月中旬から9月中旬までベトナムに滞在して、ベトナムの北から南まで駆け足で調査をしてきた。その訪問場所を少し紹介したい。

 ベトナム北部(その1):ディエンビエンフー

 今回、ベトナムの北西部のディエンビエンフーに行って来た。このディエンビエンフーは高校の世界史の教科書にでてくるぐらい有名な土地である。インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)での植民地支配を続けたいフランスと、完全な独立を達成したいベトナムとの決戦が行なわれた場所である。首都ハノイから北西480キロに位置する。ディエンビエンフーは回りを山々に囲まれた盆地である。よくぞこんな僻地で戦争を行なったというような場所だった。

 今回の調査旅行ではハプニングが多く、ディエンビエンフーからハノイに行く飛行機が天候不良のため遅延となった。飛行機が飛んだのは予定していた日から2日も遅れていた。やはり山の天気は変わりやすい。

ディエンビエンフーへの道路。かなりの悪路である。

 

ムオンタイン橋を渡る少数民族の女性たち
 
ディエンビエンフーの戦闘で使用された兵器  

 ベトナム北部(その2):ソンラ

 ソンラは、黒タイ族が多く住む地域である。ここには、フランスがかつて使用していた政治犯専用の刑務所があった。フランスから独立を達成しようとする人々がこの刑務所に収監されていたのである。ベトナム現代史に登場する有名な政治家の多くが、この刑務所で出会い、革命についての学習会などを開いていた。

 ソンラで宿泊したホテルの部屋に何者かが侵入。部屋を物色している間に、筆者たちが部屋に戻って来たために何もとられずにすんだが、ホテルの客室に貴重品を置いてはいけないということを再認識した。

ソンラ刑務所跡。インドシナ戦争中に爆撃された。 黒タイ族の女性

 ベトナム北部(その3):ベトナム−ラオス国境

 ディエンビエンフーを西に進めば、ラオスという国である。今回、今年の5月から国際的な国境へと格上げされたベトナム―ラオス国境のタイチャン(Tay Trang)に行ってきた。

ベトナム−ラオス国境。手前がベトナムで,奥がラオスである。

 ベトナム北部(その4):ハノイ

  ベトナムの首都ハノイで資料集めをした。新旧の資料は、全部で193冊であった。これを日本に航空便で送った。読み終わるのは一体いつになることやら。

今回購入した本の一部

 ベトナム中部

  ベトナムはかつて、現在の韓国と北朝鮮のように、南北に分断されていたころがあった。ベトナムでは、北緯17度線が南北の境界線であった。かつて分断の象徴だったベンハイ川である。

ベンハイ川。手前が旧北ベトナム。向こう側が旧南ベトナム フエにある王宮(世界遺産)

 ベトナム南部(その1)

 ベトナム戦争当時、メコンデルタでは南ベトナム政府に対する抵抗運動が激化していた。そのような場所を実際に訪問し、どのような指令のもとに抵抗運動が行なわれていたのかについて調査した。

メコンデルタにある小学校。洪水していても学校に通う児童たち。 かつてのゲリラ基地がおかれていた場所

 ベトナム南部(その2)

 1960年にメコンデルタでは、民衆蜂起(同時蜂起)があいついだ。この時に指導的な役割を果たし、後に南ベトナム解放軍の副司令官を務めたのが、グエン・ティ・ディンという女性である。彼女のベトナム戦争中の足跡を訪ねた。グエン・ティ・ディンの秘書をしていた姪御さんにも会って話を聞いた。

グエン・ティ・マンさん(グエン・ティ・ディンの姪)と。

グエン・ティ・ディンを祀る廟にて。
女性が着ているのがベトナムの民族衣装のアオザイ

 

 以上が今年の夏休みに訪れた場所の一部である。50日以上もある夏休みは、あっという間に過ぎ去ってしまった。後期が始まると、夏休みが無性に懐かしく思うのは、教員も学生も同じなのかもしれない。

(文責:福田 2007/10/24)

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